4 競争のない人生は幸福か?

4 競争のない人生は幸福か?

みんなそろってゴールイン!!

忘れられない恩師のことば (5.4.1)

 

私は、司法試験に関しては、退却することなく目標を達成することができました。

 

しかし、司法試験は、今も昔も、通る人よりは、落ちる人のほうが圧倒的に多い試験であり、退却する人のほうがずっと多いわけです。

 

そして、このことを考えるとき、私が司法試験において大恩を受けたある恩師のことばがいつも思い出されます。

 

その先生は、大学の先生ではありません。ある司法試験予備校の創始者であり、また、当時、司法試験受験界で随一の人気講師であったK先生です。

 

その司法試験予備校は、いまでも存在しますが、K先生は、すでにお亡くなりなっています。当時のK先生の人気は、まさに他の追随を許さないものであり、その講義の、面白さ、深さ、わかりやすさは、文字どおり「最高」の名に値するものでした。

 

私は、司法試験の受験を続ける中、縁あってK先生のご指導を受けることができるようになったのですが、私が忘れられないのは、まだ、K先生と面識を得る前、ある大学の教室のスピーカー越しに聞いた先生のあることばでした。

 

それは、司法試験の短答式試験の直前で、その予備校が主催する司法試験の短答式試験の模擬試験の日のことでした。その模擬試験は、ある大学の校舎を使って行われました。

 

模擬試験が終わり、K先生が、いつものように出題された問題の何問かをピックアップして解説をされました。そして、その解説の後に、K先生が、おもむろに話し始めました。もう30年以上も前のことなので、記憶も曖昧になっているところがありますが、概ね次のような内容でした。

 

間もなく、今年の司法試験がはじまります。そして、今年受験するみなさんの中には、見事合格される方もいるでしょう。しかし、惜しくも合格できかったという方も必ずいるはずです。そして、合格できなかった方の中には、今年の試験を最後として、司法試験を断念する方もいると思います。しかし、私は、そういう方に、これだけはお願いしたい。この先、どんな道に進まれようとも、司法試験を受験していたということを、決して後悔しないでいただきたい。司法試験を受験していたということを誇りに思っていただきたい。そうやって生きていっていただきたい。

 

K先生からいただいたことばは、少なくありません。

 

しかし、その中で、このことばが、特に、私の胸に突き刺さっています。

 

なぜなのでしょう?

 

それを突き詰め、分析することは可能かもしれません。しかし、私自身としては、それはしたくない気持ちです。薄っぺらな論評のようなことばで、先生のこのことばを汚したくない。そんな気持ちでいます。ですから、このことばは、このままにしておきます。

 

これを読んだみなさんが、何かを感じてくれれば幸いです。

 

競争のない人生は幸福か? (5.4.2)

 

何事にも、始まりがあれば、終わりもあります。

 

終わりは、その人にとって、都合のよい場合もあれば、そうでない場合もあるでしょう。

 

しかし、自分にとってその都合のよくない終わりを恐れて何も始めなければ、そこには何も生まれないわけです。

 

確かに、子どもに競争をさせなければ、「負ける子」は生まれません。しかし、負けることが可哀想だと言い過ぎると、勢い「競争自体をなくしてしまえば、負ける子がいない」という発想に陥り、「競争自体を廃止してしまおう」という暴論に至ります。

 

しかし、このような考え方は、いろいろな意味で間違っています。

 

第1に、学校教育から競争をなくしたところで、社会から競争がなくなるわけではありません。負けることに慣れていない子が、いきなり社会の荒波の中に投げ込まれたら、それこそ悲劇です。小さい負けを経験することなく、いきなり大きな負けに直面したら、耐えられるわけがありません。

 

第2に、確かに、人は負けることは嫌いですが、その人に対して本当に可哀想なのは、負けることではなく、闘う機会が制限されることのように思います。

 

例えば、たとえ負けたとしても、またすぐに再挑戦できるのであれば、それに向けて頑張ればよいのですから、それほどツラくはありません。しかし、一生に一度だけのチャンスで、それに負けたら、もう一生挽回する機会もない、としたら、確かにそれは可哀想です。

 

ですから、負けることを可哀想だと思うなら、競争自体を廃止しようとするのではなく、むしろ競争の機会を多くすればいいのです。そうすれば、一度負けた人でも挽回する機会があるから、気楽です。しかも、その競争の種類も多様にすれば、その人それぞれの得意分野もあり、不得意分野では勝てないが、得意分野では勝てるので、その人としても、自尊心を決定的に傷つけられることもありません。自分を嫌いになることもないでしょう。

 

ですから、そういう意味では、本当に可哀想な制度は、例えば、試験で言えば、受験回数の制限があるような場合です。

 

司法試験については、法科大学院を前提とした現在の司法試験制度になってから、回数制限が導入されました。当初は、法科大学院を卒業後5年以内に3回しか受験できないこととされてしまいました。現在は、5年以内に5回受験できるようになりました。しかし、5回という回数制限があります。このような制度は、司法試験に向かない人を早期に諦めさせるようなことを意図しているらしいのですが、私に言わせれば、大きなお世話です。止めるときは、自分でそう決めればよいのです。私も、7回受験しました。私の友人は、確か20回目に合格しました。どこまで続けるか、どこで退却するか、それは自分で決めればよいことです。そして、自分で決めたのなら、納得ができはずだと私は思います。

 

そして

 

第3に、競争をなくそうという発想自体が根本的に誤っているのは「人生は、結果ではない」といことを失念しているということでしょう。

 

もっとも、このように言うと、結果などどうでもいいのか、と誤解されそうですが、それは違います。

 

例えば、学校のクラスで何かの課題を与え、みんなに発表させたとします。そして最後に教師が「今日は、みんな自分の意見を言えて本当によかった。みんな最高だった」と言ったとします。しかし、これは違う、と私は思うのです。

 

みんなが「自分の意見」が言えればそれでよい、という問題ではありません。意見にしても、主張にしても、それ以外の何であっても、多くの場合、そこには優劣があります。そして、だれもがそれぞれの立場で「優」を目指すべきであり、また、そのように導くのが教育だと思います。ですから、「みんなそれぞれ個性的だったからそれでよい」という、そういう問題ではないのだと私は考えます。

 

ただ、そうであっても、最も重要なことは、それぞれが最終的に到達できた絶対的な値としての「結果」ではなく、その成果を目指し、日々少しでも上昇しようとする「過程」だと思うのです。

 

向上しようとしない毎日は、最初から負けてもいいと思ってやっているゲームのようなもので、なんにも面白くないでしょう。まったくワクワクしないでしょう。結果を求めるからこそ、ワクワクもしますし、ドキドキもします。また、ハラハラもするのです。このような興奮がなくて、何の人生だろう、と私は思います。

 

ですから、結果を求めることは絶対に必要です。しかし、本当に重要なのは「結果」そのものではなく、それを追い求めるその「過程」自体だろう、と思うのです。

 

司法試験の受験していた当時のことを思い返しても、試験は確かにツラかったのですが、合格を目指して法律学の勉強をすることや、それを通して少しずつ法律学が分かり、自分に実力が着いてきたぞと実感できる毎日は、正直言って、幸福でした。

 

それは、結果として私が最終的に合格できたから幸福だと感じているのではなく、実際にその時点で幸福だったのだと思います。その証拠に、あの失敗した飲食店でさえ、その当時、何とか繁盛するようにできないかと試行錯誤していた時は、やはり同様に幸福を感じていたからです。

 

「旅」は、目的地をいうのではなく、そこへの過程をいう、ということばは、言い古されたことですが、真実だろうと思います。そして、この「旅」を「人生」と置き換えることができる、という意見にも、また賛成します。

 

所詮、人生なんて、その人に与えられた「時間の塊」にすぎません。100年もすれば、大概の人は、終わるのです。成功したとか失敗したとか言っても、所詮は、その間だけの、せいぜい数十年のものにすぎません。成功したと言っても、その成果を墓の中へまで持って行けるものではないのです。

 

そうである以上、重要なことは「何を得たか」ではなく、「どう生きたか」であることは明らかです。

 

しかし、そうは言っても、何かを求めない人生は、平穏かもしれませんが、ワクワクもハラハラもドキドキもしません。そんな人生は、退屈で飽き飽きすることでしょう。だから、何かを追い求めたほうがよいのです。たとえ、どんな結果に終わろうと、追い求めているその一瞬一瞬に喜びがあるからです。たとえ失恋に涙し、心をかき乱されたとしても、それでも「恋」のない人生よりはずっといい、と私は思います。

 

そしてそのうえで、百戦百勝なら、もっとよい、ということです。

 

孫子は「百戦百勝は上の上ではない。戦わずして勝つことこそが上の上である」と言いますが、それは「戦争が国家の大事」だからです。人生にはあてはまりません。

 

国家なら、百年でも、千年でも、平和で天下太平が一番でしょうが、そんな人生は退屈で死んでしまいます。

 

やはり、人生では「百戦百勝」が最上でしょう。

 

考えただけでワクワクするじゃありませんか!

 

このサイトが、みなさんの「百戦百勝人生」の一助となれば幸いです。

 

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。

 

どうもありがとうございました。


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