そこそこの人のための臨機応変の戦略

はじめに……すべてのそこそこの人たちへ

ドングリの背比べ

このサイトが想定しているのは「そこそこの人」

 

人は、権利において平等な存在ですが、素質や環境においては決して平等な存在ではありません。当然のことですが、生まれつき頭のよい人もいれば、そうでない人もおり、美男美女もいれば、そうでない人もいます。それは、トランプゲームの手札のようだとも言えます。配られたカードがよい人もいれば、そうでない人もいるのです。

 

ですが、最初に5枚ほどのカードしか配られないポーカーなどとは異なり、10枚以上が配られるゲームであれば、よい手札、わるい手札と言っても、実際上それほど大きな開きがあるものではありません。いわゆる「ドングリの背比べ」。

 

仮に、どんなことをしても負けないほど「よい手札」の人が2割、逆に、どうにもならないほど「わるい手札」の人が2割いるとしても、それ以外の6割くらいの人は、それほどよくもわるくもない「そこそこの手札」でしょう。そして、このサイトで注目したいのは、この6割の人たちです。

 

この6割の人たちは、うまくプレイすることができるかどうかによって勝敗が変わります。うまく闘うことができれば勝利を収めることができるし、うまく闘うことができなければ敗北する。ここでは、こういう人を「そこそこの人」と表現しています。そして本サイトは、こういう「そこそこの人」を対象として、その「闘い方」について1つの考え方を提案するものです。

 

そこそこの人が6割

 

ですから、このサイトで述べられていることは、上2割の人には必要がなく、下2割の人には――残念ですが――役に立たないかもしれません。このサイトで述べられているのは、そういう内容です。

 

自己紹介を兼ねて若干の昔話

 

みなさん、こんにちは。
「ヘチマ」と申します。現在、弁護士をしています。

 

私は、三十数年前、まさに「そこそこ」の大学の「そこそこ」の大学生でした。その名を言って感心されるわけでもないが、名前を知られていないわけでもない、という大学に入学しました。ですから、今でこそ弁護士をしていますが、当時は、自分が将来司法試験を受験することになるとか、いわんや合格できるなどとは、夢にも思いませんでした。だって、そうでしょう? 大学受験ですでに大敗しているんですもの。司法試験など、到底無理。まったく眼中にありませんでした。

 

ヘチマ18歳の春

 

ところがその後、ひょんなことから司法試験受験サークルに加入することになりました。しかし、その時ですら、半信半疑というか、ほとんど冷やかし気分だったのです。せいぜい記念受験。自分が司法試験に合格できるなどとは、まったく考えていませんでした。「司法試験でも目指しておけば、ほかの資格を取る際の助けになるかな」という考えが主でした。

 

実際、当時、その大学からの司法試験合格者は、年間で1人か2人。「合格者なし」という年もありました。しかも、私はその大学の「1番優秀な学生」というわけですらなかったのです。そういう状況ですから、司法試験など到底無理、夢のまた夢と考えるのが、まあふつうの発想だったというべきでしょう。

 

ところが、そのうちに本気になってしまいました。そして、大学卒業後も、就職せず、司法試験を続けました。当時の司法試験の年間合格者数は500人台。現在の司法試験合格者の約4〜5分の1で、合格率は2%台でした(現在は20〜30%くらい)。当時は「日本一難しい国家試験」と言われていました。結局、紆余曲折を経て、7度目の受験で合格しましたが、そのときは、すでに元号も「昭和」から「平成」に変わっていました。

 

その後、司法修習(当時は2年間)を経て、弁護士となり、現在に至っています。弁護士登録をしてすでに20年を超えましたが、その間、大手の司法試験予備校で講師をしたり、小さな司法試験予備校で受験指導にあたったり、大学で教えたり、私塾で教えたりしました。また、2004年に司法試験制度が変わってからは、法科大学院でも教えました。

 

しかし、こんな私も、すでに述べたとおり、大学時代は優秀な学生でも何でもありませんでした。まさに「ヘチマ」のような学生。これは、ウソでも偽りでもありません。事実、特待生でもなく、学内の奨学金の対象でもありませんでした。まさに「そこそこ」の大学の「そこそこ」の学生だったのです。

 

弁護士成り立てのころ

 

では、なぜ、そのような「そこそこ」の学生が、当時最難関といわれた司法試験に合格することができたのか? 本サイトの内容は、ある意味、その種明かしをするものでもあります。

 

そこそこの人にこそ闘い方が必要だ

 

私は、司法試験の受験をしたことを通じて、実にさまざまなことを学びましたが、そのうちの最大のものが「そこそこの人には、そこそこの人なりの闘い方がある」ということでした。そしてその「闘い方」こそが、このサイトで「臨機応変の戦略」と呼んでいるものです。そして「そこそこの人」こそ、そういう闘い方を知る必要があると考えています。

 

私は、その戦略の基礎となる考え方を偶然にも司法試験受験中に手に入れました。だから、司法試験に合格することができたともいえます。けれども、この戦略は、司法試験にしか使えないものではなく、日常生活のいろいろな場面で応用可能なものです。そのため実際、私は、この戦略を、司法試験だけでなく、合コンの相手の新規開拓や、彼女をゲットするためにも活用してきました。そして司法試験の場合と同様、それなりの成果を収めてきたのでした。

 

ですから、本サイトの文中に登場する具体例には、各種の資格試験を受験する際にヒントになるような私の受験中の逸話も多く登場する一方で、合コンや恋愛に関する逸話も数多く出てきます。

 

私は、そんな話を、折に触れ、大学の授業中での雑談や飲み会の席などで学生たちに話していました。内容は、司法試験や、合コンや、恋愛での、私や私の周りにいた人たちの失敗談だったり、成功談だったり、そんなものです。

 

ですから、本サイトの内容は、司法試験の受験指南でないことはもとより、各種試験のためのハウ・ツーでもありません。より汎用性が高く有用なこの戦略を、すべての「そこそこの人」に知ってほしいし、活用してほしい、というのがその意図するところです(もちろん、司法試験のネタや受験勉強上の具体例も数多く登場しますので、司法試験やその他の各種資格試験を受けている方々の参考にもなるとは思いますが)。

 

人生は、好むと好まざるとにかかわらず、勝負の連続です。闘いを避けて通ることはできません。各種試験へのチャレンジだけでなく、恋愛も、起業も、あるいは子育てさえも、何かを達成しようという試みは、ことごとく「勝負の要素」を含みます。ここで「勝負の要素」と言っているのは、なにも他人との比較ではありません。目標までの道のりに、何らかの障害が存在し、これを打ち負かさなければ(=乗り越えなければ)目標に到達できない、という要素です。そして、勝負が避けられない以上は、自分に合った戦略を知ることは、やはり有益でしょう。

 

もし、いまこの文章を読んでいるあなたが「そこそこの人」ならば、このサイトで述べられていることが、あなたの何らかの役に立つかもしれません。もしそうなれば、とても幸いです。

 

2016年3月 そこそこの弁護士 ヘチマ

 

敏腕弁護士と呼ばれたい


ドングリ好きの方へ……

  

 

ヘチマ好きの方へ……

  

 

 
 

 
はじめに 目 次 第1章 第2章 第3章 第4章 第5章