第4.5 よい教師に着いて行く

5 よい教師に着いて行く

よい教師を選び、信じて着いて行く

よい教師を信じて着いて行く (4.5.1)

 

「芋づる理論」のような失敗もありますが、仮説を立て、実践し、評価し、再考するという方法は、自分自身で「必殺技」や「秘密兵器」を開発するための方法としては、おそらくゴールデン・ルールです。

 

しかし、自分自身でやり抜くのではなく、他の人のチカラを借りることをも視野に入れるのであれば、他のよい方法もあります。

 

よい教師を選び、一度決めたら、あとは信じて徹底的に着いて行く

 

という方法です。実際、この方法をゴールデン・ルールとして勧める人は、少なくないと思います。これには私も賛成です。

 

世の中には「自分一人のチカラでやり遂げる」ということに重きを置き、それにこだわる人がいますが、私はそうは思いません。勝負は勝つことが重要であり、他人の指導を受けようと、勝ちは勝ちです。結果としてそのような「力」や「技」を身につけたのなら、それは、その人のものです。だれに習おうが関係ありません。ですから、私は、よい教師を選び、それに着いて行く、という方法には大賛成です。

 

ただ、これにはいくつかの注意点があります。

 

第1に、教師を選ぶときに、十分に考え、厳選すること

 

です。
ここでは、評判がいいからとか、有名だからとか、だれかに勧められたからとか、そういうことではなく、自分の目で見て、講義を聴いて、話をするなどして、実感して決めることが大切です。それは、その後の学習態度にも関係してくることだからです。

 

第2は、考え抜いて決めた以上は、あとはそのやり方に徹底的に従うこと

 

です。
ここで迷ってはいけません。迷うことは、自分のもっているチカラを分散させることになります。迷ってしまうのならば、教師の指導を受ける意味がありません。意味は解らなくても、教師を信じ、そのやり方を飲み込んで、実践することが必要です。

 

第3は、着いて行くこと

 

です。
では、どこまで着いて行けばいいのでしょうか。

 

それは、成果が出るか、あるいは、壁にぶつかるまでです。

 

着いて行って成果が出れば、再考の必要はありません。しかし、着いて行っても、着いて行っても、成果が出ないかもしれません。しかし、物事は、すべて「すぐに成果が出る」というものではありません。ある程度、実力が充実してこなければ成果がでないというものもあるのです。ですから、途中で投げ出していては、何事も成りません。

 

ですから、まずは、自分が「壁にぶつかった」と思えるまで、つまり、やってもやっても実力が上がっているとは思えないと真に思えるまでは、着いて行くことです。そして、どう考えても「壁にぶつかった」と思えるならば、そこで、再度、その教師は本当によい教師なのかどうかを考え直してみるべきです。そして、その理由と共にその教師はよい教師ではなかったのだ、と確信できたならば、次の進むべき道はおのずと見えてきます。どういう教師を次に選ぶべきかも、おのずと判明しているでしょう。そこまでは着いてきましょう。そうでなければ、いつまでも、何度でも、教師ばかりを変えている、というスパイラルに陥ってしまいます。

 

第2と第3の点について、少しだけ具体例を挙げましょう。

 

迷いはチカラを分散させる (4.5.2)

 

私は、数年間、ある小さな司法試験予備校で、講師をしていたことがあります。その後、法科大学院制度がはじまり、私自身が母校の法科大学院に関与したこともあって、その予備校の講師は辞めました。しかし、幾人か私の指導を受けたいという受験生の要望があったので、「獅子塾」という名前(=司試塾のもじりです)をつけて、私塾のかたちで指導を続けていました。

 

問題を出して答案を書かせ、それを題材にして議論する、というゼミ形式の指導でした。

 

特に宣伝をするわけでもありませんでしたが、クチコミで指導を受けたいという受験生が入ってきたり、来なくなったり、また合格した人もいましたので、塾生は増えたり減ったりしていました。

 

そんな中、塾生の1人は、ある大手の司法試験予備校で指導員のような仕事をしている受験生でした。

 

その人は、私の指導を気に入ってくれていて、熱心に取り組んでいましたが、そのうち、そのことを同じ司法試験予備校の仲間の指導員たちにも話したらしく、その人たちを連れてきてよいか、と私に尋ねました。私は「来る者は拒まず」という方針でやっていましたので、もちろんOKしました。

 

その人たちが私などのゼミに来たいというのは、もちろん、当時の自分の実力の伸びに限界を感じたり、その予備校の勧める受験勉強のやり方に疑問を感じていたからに違いありません。そうでなければ、予備校の中心部にいて、どっぷりと浸かった立場にいるのに、私などのところに指導を受けに来る必要などなかったからです。

 

実際、当時、多くの司法試験予備校が、合格答案を暗記させるというような馬鹿げた受験指導をしていました。これに対して、私がしていたのは、まったく異なった指導でした。彼らもそのような一風変わった――私に言わせれば王道ですが――受験指導に光明を見出したかったのかもしれません。

 

しかし、その子たちは、間もなく来なくなりました。予備校がやっていることとはあまりにもかけ離れた私の指導になじめなかったのかも知れません。

 

私のところに来ている間、彼らが書いてきた「いかにも予備校らしい答案」に対して、私は、何度もダメ出しをし、なぜダメなのかを議論してきました。しかし、彼らは、どうしても予備校チックな答案から抜け出すことができませんでした。それだけ「染まっていた」ということかもしれません。

 

彼らが来なくなったのは、ある意味で正解です。

 

そのような迷いながらの状態では、いずれにしても効果は上がらないからです。予備校のやり方に見切りを付けるなら、きっちりと見切りを付けたうえで「そうではない指導」を受けるのでなければ、意味はありません。

 

彼らがその後どうなったのかは、わかりません。

 

しかし、彼らを「獅子塾」に連れてきた例の塾生は、その後、法科大学院には行かず、就職したりしたのですが、旧司法試験が廃止される数年前、合格者数も絞られ、合格率も極めて低くなった旧司法試験に見事に合格を果たしたのでした。

 

 

ここからがイイところなのにね (4.5.3)

 

もう1人の受験生の話をしましょう。

 

まだ、法科大学院制度が発足する前で、私が、小さな司法試験予備校で受験指導をしていたころのことです。

 

その予備校は、1クラス多くても2〜30名ほどでしたので、講師と受講生の距離が近く、講義終了後も、よく一緒に近くの居酒屋に繰り出し、議論の続きをしたりしていました。
そんな中、講義終了後の時間などに、個人的に答案の指導をしてくれないか、などと申し出る受講生も何人かいました。ちょうどその予備校は「無料受験相談」などというサービスをやっていたのですが、受験相談にかこつけて、無料で答案の添削指導をしてほしい、という虫のよい話なのです。しかし、その予備校は、まあ、家族的というか、牧歌的な予備校でしたので、そういう注文も、講師がOKならば大目に見ていたのでした。

 

そういうことで、私は、数人について個人的な答案の指導をしました。

 

――ただ、その指導に最後まで着いてきたのは、たった1人だけでした。

 

彼の指導を始めたのは、確か、1月か2月ころだったと思います。彼は、短答式試験の受験指導をするクラスに出ていたのですが、論文試験の答案の指導もしてほしいと申し出たのでした。彼は、その年に、短答合格とともに、論文合格までを一気に果たしたいという「野望」をもっていました。私は、断る理由もなかったので、彼の申し出をOKしました。

 

そして、民法の過去の論文式試験問題一問を選び、彼に対して、翌週までにその答案を書いてくるようにと告げました。その際、どんな参考書を見ても構わないし、何時間書けても構わないから、完璧だと思える答案を書いてくるように、と指示しました。彼は、それを了解しました。

 

翌週、彼は、その問題についての答案を書いてきました。

 

私は、答案を見ました。正直言って、ダメダメです。そこで、彼と問答しながら、その答案のどこがダメなのかを彼に説明しました。彼は、納得した様子でした。

 

そこで、私は、彼に向かって、翌週も同じ問題について、どんな参考書を見ても構わないし、何時間掛けても構わないから、完璧だと思える答案を書いてくるように、と指示しました。つまり、書き直しです。彼は、それを了解しました。

 

翌週、彼は、その問題についての書き直し答案を書いてきました。

 

私は、答案を見ました。先週よりはよいものの、まだまだダメです。到底合格答案と呼べるものではありません。そこで、再度、彼と問答し、その答案のどこがダメなのかを彼に説明しました。彼は、納得した様子でした。

 

私は、再び、彼に向かって、翌週も同じ問題について完璧だと思える答案を書いてくるように、と指示しました。つまり、再度の書き直しです。彼はそれを了解しました。

 

そして、翌週も、彼は、その問題についての答案を書いてきたのでした。

 

私は、彼の答案を見ました。けれども、まだダメです。そして、また彼の答案のどこが悪いかについて話し合いました。そして、私は、彼に向かって、翌週も同じ問題について、書き直しをしてくるように指示しました。

 

同じ答案について、すでに3度目の書き直しです。

 

実は、彼を除く受験生は、この時点で大体来なっていました――。

 

彼らの思考は、おおよそ見当が付きます。おそらく

 

「1問で4週間も時間を掛けていたら、1年で、一体どれくらいの数の問題をこなすことができるのだろう?」

 

というものです。
みなさんは、どう思われますか?

 

3つの恋、30の恋、300の恋 (4.5.4)

 

この話をするときに、私が必ずするたとえ話があります。それは

 

ここに、20歳から30歳になるまでの間に、
3人の男性と付き合ったことのある女性と、
30人の男性と付き合ったことのある女性と、
300人の男性と付き合ったことのある女性がいるとします。
この3人の中で、恋愛について最も深く知っているのは、どの女性だと思いますか?

 

というものです。みなさんはどう思いますか?

 

普通に考えて10年間で3人と付き合う場合、まったく隙間がないと仮定すると、一人と付き合っている期間は、平均して3年4か月ほどです。

 

これに対して、30人と付き合う場合、1人につき平均4か月、300人だと平均12日です。

 

3か月間の男性との付き合いなど、ほとんど付き合ってすぐ別れているようなものでしょう。

 

さらに12日間となれば、本当に付き合っているといえるのかどうかすら、疑問です。ほとんど肉体関係のみ。遊ばれているか、商売としか思えません。

 

3つの恋、30の恋、300の恋

 

私が何を言いたいか、解りますか?
つまり、ここで言いたいことは

 

「恋を深く知っているかどうか」を決めるのは、数ではない

 

ということです。重要なのは、

 

体験の深さ

 

です。

 

よく「3日、3月、3年」ということが言われます。

 

恋愛では「3日」「3月」「3年」のときに危機が訪れるというわけです。

 

それは、相手のいろいろな面を徐々に知ったり、相手に対する甘えが出てきたりするに連れて、危機が訪れるとも言えます。そうして、そういう時期を乗り越えて、さらに付き合いが続くときに、本当の恋愛になるとも言えるわけです。

 

そしてそうだとするならば、重要なことは「人数」ではなく、とにかく「だれかと深く付き合うことだ」と言えます。

 

そして深く付き合うためには、それなりの時間が必要です。だから、あまりにも短い期間にコロコロと相手が変わる場合、本当に恋愛ができているのか、すら疑問にすらなるわけです。

 

そして同じことは「司法試験の合格答案」にも言えます。

 

「合格答案」というものには、多くの答案に共通する側面と、その問題に特有の側面とがあります。それは「恋愛」において、多くの恋愛に共通する側面と、その相手に特有の側面があると同じです。そして、共通の側面は、1つの答案を深く分析することによって学ぶことができ、その知識は、他の答案を書くときにも応用することが可能なのです。

 

そして、一度その共通の要素をマスターしてしまえば、あとは、それぞれの問題について特有のところだけを押さえればよくなるので、ラクなのです。

 

 

物事は一次関数的に進むわけではない (4.5.5)

 

では、私の答案指導を最後まで受け続けた彼のその後は、一体どうなったのか?
もう少し話を続けましょう。

 

彼は、素直に私の指示に従い、その翌週も同じ問題について答案の書き直しをしてきました。

 

見ると、かなりよくなっていますが、少々気になるところもあります。私は、そこを指摘し、なぜ気になるのかを彼に話しました。
しかし、そこまで来ると、その書き直しだけにそれほどの時間を費やす必要はありません。
そこで、その週は、その答案の書き直しを指示するとともに、彼に新しい問題について、同様に完璧な答案を書いてくるようにと指示しました。もちろん、前と同様、何を見ても構わない、何時間掛けても構わないという無制限です。

 

彼は、翌週、以前の答案についての「書き直し答案」と、新しい問題についての「最初の答案」を書いてきました。答案を見ると、書き直し答案のほうは、もはや非の打ち所がないほど完璧です。新しい答案のほうについては、いろいろな問題点がありました。そこで、彼とその問題点について話し合い、書き直しを指示しました。

 

翌週、彼は、新しい問題についての「書き直し答案」を持ってきました。その出来は、80%ほどでしょうか。そこで、20%ほどの問題点について話し合い、彼に再度の書き直しを指示するとともに、同時に新しい問題を指示しました。

 

翌週、彼の持ってきた「書き直し答案」は、完璧です。一方「新しい答案」は、60パーセントほどの出来ところでしょうか。私は、彼とその問題点を話し合い、理解してもらうとともに、その書き直しと、次の新しい問題を指示しました。

 

翌週の彼の答案の出来は、前回以上です。ですから、その書き直しとともに、即座に、次の問題を指示します。

 

そして、その翌週は、書き直しの必要もなくなります。気になるところを2、3指摘すれば、それでOK。

 

そのうちに週に2問を出題することも、可能になります。

 

そして最後に私が彼に出した指示は、次のようなものでした。

 

「もう、答案を書く必要はないから、できるだけ多くの過去問について答案構成だけしておくといいよ」

 

答案構成というのは、答案を書き始める前に作る「設計図」のようなもので、どんなことを書くかを箇条書きにしたようなものです。私が彼に対してそれだけを作ればよいとアドバイスしたのは、言うまでもなく、彼が、もはやそれを貴重な時間を掛けて答案の形にする必要はどこにもない、と思えるまでに成長していたからです。

 

そして、彼は、その年、短答合格を果たすとともに、そのまま夏の論文式試験にも合格し、最終合格を果たしたのでした。当然ですよね。

 

それにしても、どうして人は、物事が一次関数的に増加すると考えがちなのでしょうか。

 

経験的に言えば、

 

人の実力というのは、最初はなかなか伸びないけれど、そのうちに伸び始めると勢いが付いて、爆発的に伸びてゆく

 

というのが通常のように思えるのですが……。まあ、これも、私が司法試験を受けていたからこそ得た知見でもありますね。

 

実力の伸びグラフ


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