第4.3 弱点が「強さ」を生む

3 弱点が「強さ」を生む

弱点が「強さ」を生む

記憶力の悪さを乗り越えるために (4.3.1)

 

もう1つの例を挙げましょう。私が、司法試験の論文式試験を突破するために作っていた「論文式試験対策用のノート」です。

 

これは、各科目についてB5判の二穴のバインダーで作っていたものでしたが、このノートを使った戦略こそが、私にとっては、司法試験攻略の鍵でした。

 

私の弱点は、いろいろありますが、司法試験を乗り切るうえで特に問題だったのは、記憶力がよくないことでした。今でも、人の名前を憶えるのは大嫌い。せめて少人数で行っている演習のクラスの学生の名前くらいは憶えようとするのですが、ついつい忘れてしまい、「ええと、きみは何くんだったっけ?」などと言って、毎年、学生に悲しい思いをさせていました。しかしそれは、その学生の印象が薄いのではなくて、単に、私の記憶力がよくないのです。特に「暗記」は昔から大の苦手でした。そこで、何とか理屈を付けて憶えようとするのですが、それでも、しばらくすると忘れてしまう。特に、いま勉強している科目はよくても、次の科目の勉強を始めると、前の科目のことは忘れてしまうのでした。

 

このような記憶力の悪さが司法試験にとって極めてマイナスであることは、容易に理解していただけるでしょう。

 

しかしそれでも、もし、私の本を読むスピードが極めて速く、論文式試験の直前に、全科目の教科書に猛スピードで目を通し、記憶を喚起することができるのであれば、私は、ノートなど作る必要はありませんでした。

 

しかし、残念ながら、私には、そのような速読の能力もありませんでした。本を読むスピードは、むしろ遅い方でした。
そこで、考えた方法が「ノートを作る」ということでした。その作戦は、次のような考え方に支えられていました。

 

 @ある科目を勉強した直後、少なくとも、その時点で合格レベルに達する。
 ↓
 Aその時点での記憶を、将来一読することで復元できるようなノートを作る。
 ↓
 Bそのノートを論文式試験直前に見返す。
 ↓
 Cこれにより、試験の時点で、合格レベルにまで記憶が復元する。

 

論文試験突破のための作戦

 

この考え方が間違っていなければ、試験直前の一週間に7科目全部のノートを一気に見直すことで、7科目全部について、実力が最高潮に達していた「ある時点」の記憶を一気に復元することができ、合格できるはずでした。そして、その考え方は、間違っていなかったのでしょう。

 

ノートを作るという作業は、多くの時間と労力を必要とします。ですから、その方法自体は、それほど効率的なものではありません。作らずに済ませることができるのであれば、こんなもの作らない方が効率的です。早期合格につながるかもしれません。

 

しかし、それは人によります。私は、たまたま記憶力が悪く、また、本を読むスピードも速くはなかったので、ほかによい方法がなかったのです。

 

ですから、私にとっては、私の弱点を補うという意味でこの「ノート」は必要なものでした。しかし、これは万人にあてはまるものではありません。よく司法試験の受験勉強としてノートを作るのがよいか否かという質問を学生から受けるのですが、一概には言えません。それはこういう理由によります。

 

自分に合った必殺技を開発する (4.3.2)

 

「秘密兵器」や「必殺技」は、自分に合ったものであることが必要です。ここまでに「秘密兵器」の例を2つ挙げましたので、最後に「必殺技」の例を1つ挙げましょう。これは、私ではなく、かつて私が受験指導した司法試験受験生の例です。

 

彼は、非常に優秀な人物でした。しかし、司法試験の論文式試験に関しては、致命的ともいうべき非常に不利な弱点を、彼は1つもっていました。それは「文字を書くスピードが非常に遅い」というものでした。

 

当時、司法試験の論文式試験の答案用紙は、現在の予備試験の答案用紙と似ていて、A3判の表・裏に2頁ずつ合計4頁が印刷された用紙でした。1問あたり1枚の用紙を使い、各科目、2問を2時間で書くというスタイルです。ですから、1問あたり1時間で書き切るというのが通常の時間配分でした。

 

だいたい普通の受験生が1問の答案につきどれくらいの量の文章を書いていたかというと、だいたい2頁半から3頁半くらいを書くのが普通でした。合格するためには、少なくともそれくらいの量を書くことが必要だと言われていました。

 

ところが、彼は、非常にきちんとした読みやすい字を書くのですが、反面、書くスピードが非常に遅く、1頁半から二頁を書くのがやっとでした。しかし通常、これくらいの量だと必要なことを充分書くことができません。また、たとえ書いたとしても他の受験生に「書き負け」てしまい、合格することはできません。しかし、彼はそれ以上のスピードで書くことは、どうしてもできなかったのです。

 

では、彼は、一体どうしたと思いますか?

 

もしも、あなたが「彼」だったら、どうしますか?

 

彼のとった作戦は、見事でした。
それは、

 

これ以上は削れないというところまで贅肉をそぎ落とした、まったくムダな言葉のない「短文の合格答案」を作ること

 

でした。
もちろん、ホームラン答案(=高得点の答案)ではありません。

 

「これを書き落としたら落ちる」
「ここまで書いておけば落とされない」

 

そういうギリギリのところまで贅肉をそぎ落とした答案です。そういう答案を、彼は書きました。

 

そうすることで、彼は「わずか2頁足らずの合格答案」というものを作り上げたのでした。職人技と言ってよいかもしれません。

 

それは、抜群に頭のよい彼だからこそできた「技」かもしれません。
しかし、文字を書くスピードにハンデを抱えていた彼だからこそ必要としていた「技」でもありました。

 

いずれにしても、その「必殺技」によって、彼は見事に合格を手にしたのでした。
さすがとしか言いようがありません。

 

弱点が「強さ」を生む (4.3.3)

 

彼は、文字を書くのが極端に遅いというハンデを背負っていたからこそ「わずか二頁足らずの合格答案」というものを作り上げました。それが彼の「強さ」であり、その「強さ」は、彼の弱点が産み出したものでした。

 

私は、文字を書くことにそれほどの苦労はなく、だいたい答案用紙目一杯の答案を書いていましたから、彼のような悩みはありませんでした。だから、私の書く文章は、いまでもダラダラと冗長なのです。

 

しかし、私は私で「暗記ができない」というハンデを背負っていました。暗記ができないから、仕方なく、それでも何とか憶えられるようにと、憶えなければならない「定義」などをこねくりまわして、少しでも憶えやすいように加工したりしていました。

 

しかし、結果的には、そのことが私にとっての「強さ」につながりました。暗記できないために、少しでも「意味づけ」をして憶えようとして、定義を分解したり、分析したりした結果、それが深い理解への入り口になりました。

 

こんなこともありました。
おそらく大学3年生か4年生のころだったと思います。2月でした。当時の司法試験受験生は、年が明けると、3月ころまで毎週のように予備校が開催する答案練習会を受けるのが通例でした。憲法(3週)、民法(6週)、刑法(4週)などというよう週単位で区切られた司法試験予備校のスケジュールに合わせて、教科書を読み、勉強を進める、というが受験生の通常のスタイルでした。

 

こんなふうにスケジュールが決められているものですから、その期間に教科書のその範囲を読み切らなければならないという強迫観念に追われて、解っても解らなくても、とにかく教科書を読み進めるという感じでした。

 

ところが、ちょうどその年、民法の教科書の「物権」という箇所を読んでいるときでした。教科書には「物権には、次のような性質がある」と書かれていました。そして、それに引き続いて、確か、7つくらいの性質がダラダラと列挙されていたのでした。

 

何度も言うように、私は暗記が苦手です。
そのため、それを見た瞬間、何かが私の頭の中で「プチッ」と何かが切れました。

 

――こんなに憶えられない。

 

丸暗記するなど到底無理だと思えました。
ダメだ。無理だ。
見る見るうちに、そういう気持ちで心の中が支配されました。

 

私は、いきなり教科書を閉じて、廊下に出ました。当時、私は、大学の司法試験研究室というところに在籍しており、専用の机をもらって勉強していました。周りには、同じような受験生がおり、机に向かって黙々と教科書を読んでいます。その机の間を抜けて、私は、廊下に出ました。

 

廊下は、肌寒く、頭が冷やされ、少し落ち着きました。
けれども、暗記することが無理だという気持ちからは、解放されませんでした。
ところが、しばらくそうしているうちに、私の思考は、意外な方向に進みました。

 

――しかし、物権の性質は、何であんなにたくさんあるんだろうか?
   あんなにたくさんあるから憶えられない。

 

何か八つ当たりのようですが、本当にそう思ったのでした。
冗談のような話ですが、けれども、実は、これこそが、私が「民法」というものをを理解するに至る大きな「きっかけ」だったのでした。

 

その後、私は、いつも読んでいた教科書を放り出し、研究室に置かれていたいろいろな先生の教科書の「物権の性質」の箇所を読みあさりました。そして、あっちにぶつかり、こっちにぶつかりしながら、いろいろ考え続けました。もはや、毎週末に行われる答案練習会などそっちのけです。

 

そして、とうとうある真理に到達したのでした。それは、

 

――物権には、2つの性質しかない

 

というものでした。そこまで来るのに、2週間かかりました。

 

しかも、こうして至った結論は、いままで使っていた教科書に書かれていた内容を否定するものです。しかし、私には、私の得た結論が正しいという確信がありました。なぜなら、それは、多くの先生方の教科書を読んでみて最終的に到達した結論であり、何よりも、それが「美しい結論」だったからでした。

 

一つの体験が突破口になる (4.3.4)

 

この体験は、私に、実に多くのことを教えました。

 

まずは、あのモヤモヤとした「いや〜ッな気持ち」。何かが理解できないときに起こる気持ちです。以前は、この気持ちがとてもキライでした。ところが、この体験を通じて、これは、何かを理解するときに起こる前兆なのだ、と判りました。

 

そもそも、本当に何も解らないときは、こんな気持ちも起こらないのです。解らないことすら解らないので、こんな気持ちにはなりません。解らないという問題意識すらないからです。

 

ところが、問題意識が起こると、このようなモヤモヤとした「いや〜ッな気持ち」が、胸の中に湧いてくるのです。ですから、それは理解に至る予兆でした。

 

これに気づいたことで、体験以来、私は、このような気持ちが湧いてくると、チャンスだと思うようになりました。そして、このような気持ちが湧いてきた時は、徹底的に調べ上げることにしました。すると必ず、このときのように「スッと腑に落ちる結論」を見付けることができたのでした。

 

そして、このような「スッと腑に落ちる結論」に至る前の感覚をも知りました。
比喩的に言えば、何か「細い糸」「切れそうな糸」を指先でつかまえたような感覚です。何冊も本を調べ、何度も同じことを考えているうちに、ある瞬間に、ふと、何かに引っかかったような感覚にとらわれます。何かを見落としているということに気付いた、というような感じです。そして、その細い糸を、慎重に手繰っていきます。切れないように、慎重に、慎重に……。そうすると、ある時、ハッと気付くのです。いままで気付かなかったところに、岩の裂け目を見付けたような感覚です。

 

 そうか、これか――。

 

そこに、指を差し込んで、その裂け目を、徐々に押し広げていきます。そうすると、見る間に視界が広がっていく。まさにそんな感覚です。

 

そうして、このような作業を効率的に進めるためには、どうすればよいかも知りました。多くの場合、理解を妨げている「躓きの石」は、気付かないような足元にあります。そして、それを解明する鍵は、たいがい教科書の全然離れた場所に書かれており、それは多くの場合「基礎」と言われているところにあるのです。

 

一見当たり前のように見える概念に対する「根拠のない先入観」や「理解の甘さ」が、目の前の問題点の理解を妨げている。そういう場合が、ほとんどでした。

 

そして、こういう作業が身に付いてくると、いままでのように教科書を頭から読むのではなく、必要に応じて、縦横無尽に調べるようになりました。教科書の至る所にリンクが張られ、ネットワークが構築されるような感じです。

 

これは、それまで私の勉強の仕方に比べると、劇的な変化でした。質的な変化、あるいは次元を乗り越えるような変化と言ってもいいかもしれません。

 

このような体験を経て、私は、法律というものが、何もかも暗記しなければならないような有象無象の対象ではなく、きわめて理論的に構築された構造物であることを知るようになります。

 

そしてそのために、暗記しなければならないものは少なくなり、多くのものが僅かな知識とそこからの論理操作によって引き出されるようなったのです。

 

このような理解に到達できたことが、私の「強さ」になりました。そして、司法試験合格への突破口となったのでした。

 

しかし、思い返せば、このような「体験」や「変化」が何によってもたらされたかと言えば、紛れもなく、「暗記ができない」という私の弱点がもたらしたものでした。


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