2 宮本武蔵の『五輪書』に学ぶ

2 宮本武蔵の『五輪書』に学ぶ

宮本武蔵『五輪書』に学ぶ

宮本武蔵『五輪書』に学ぶ (4.2.1)

 

二刀流で有名な剣豪・宮本武蔵の名前は、日本人で知らない人はまずいないでしょう。

 

その宮本武蔵が60歳の時に著したとされるのが『五輪書』です。地・水・火・風・空の五巻からなっており、宮本武蔵の兵法観や、自らの流派である二天一流(いわゆる二刀流)の内容、また、その正当性などについて記されています。この『五輪書』は、現代の私たちでも、岩波文庫で読むことができます。

 

私自身、剣道をやるわけでも、居合いをやるわけでもなく、この手のものにはまったくの素人なのですが、それでも、これを読むと、その考え方がとても合理的で興味深く、参考になります。

 

武蔵は、この書によると、13歳の時に始めて勝負をし、その後、28、9歳のころまでに60回以上の勝負をしたが、一度も負けたことはないようです。しかし、30歳を越えたとき、昔を顧みて、なぜ勝ってきたのかを思い返すと、生まれつきの武芸の才能か、あるいは相手の兵法の不足によるのであって、自分が兵法の真髄を会得していたから勝ってきたというわけではない、と言います。そして、その後、朝鍛夕練し、50歳のころ、兵法の真髄を会得したと述懐しています。その内容を記したのが、この『五輪書』です。

 

その中に、なぜ二刀流なのか、ということについて述べられているところがあります。言うまでもなく、二刀流というのは、剣術の流派のなかでは「異色」の存在です。しかし、武蔵に言わせれば、むしろ一本の刀を両手でもって戦う、というほうがおかしいのです。武蔵はこう言います。

 

武士というものは、二刀を腰に差しているものだ。そして、いままさに一命を落とすかもしれないという斬り合いの時には「道具を残さず役立てたい」というのが当然であろう。道具を充分に役立てずに、腰に収めたまま死ぬということは、不本意ではないか。ならば、二刀とも使うべきだ

 

と。これが武蔵の理屈です。なんとも合理的な説明ではありませんか。
もっとも、これに対しては「刀は重すぎて片手では自由には扱えないだろう」という反論がありそうです。そこで、武蔵は、こう切り返します。

 

しかし、馬の上にいるときは、刀を片手でつかうではないか?

 

と。だから、刀とは、本来片手で使うものなのだ、と。
そして、さらに続けます。

 

確かに、刀は、最初は重くに振り回しにくいかもしれないけど、まあ、どんなものであれ、最初はそういうものなのだ。弓だって最初は引くのが大変だし、長刀(なぎなた)だって、最初は振りにくい。でも、いずれその道具に馴れてくれば、弓も引けるようになるし、刀だって振り馴れれば「道の力」を会得して、振りやすくなるものだって

 

と。
「太刀の道」については、武蔵は「水之巻」で述べているのですが、このあたりの具体的なイメージは剣道や居合いの心得のない私にはピンときませんが、武蔵によれば刀は、太刀の振りやすい道筋に逆らわずに静かに振るべきものなのだそうです。速く振ろうと思うと太刀の道に逆らうことになって振りにくいし、それでは斬れない、と言います。

 

ところで、刀を片手で振ることを主張する武蔵は「身体を鍛えて片手でも刀を振れるようになれ」ということを言っているのでしょうか。もしそうだとすれば、武蔵は、私の最もキライな「脳味噌まで筋肉で出来ているタイプ」です。しかし、武蔵の言い分は、必ずしもそうではないようです。

 

武蔵は「地之巻」の「武道具の利を知れ」と述べているところで、脇差、太刀、長刀、槍、弓、鉄砲などの武具の利点・欠点について、「脇差」は、座敷や敵に接近した場所で有利である、「太刀」は大体の場所で通じないことはない、「槍」「長刀」は戦場での道具だが、槍の方が勝る、などといろいろと記した後で、最後に、次のように述べています。

 

「あまりたる事はたらぬと同じ事也。人まねをせず共、我身に随い、武道具は手にあふやうにあるべし。将卒共に物にすき、物をきらふ事悪しし。工夫肝要也。」

 

どういう意味でしょうか。

 

道具は、長すぎるのは、短すぎるのと同じことで、どちらもよくない。だから、人まねをしないで、自分の身体によって、武道具は自分の使いやすいものを選ぶべきだ。武将であれ、一兵卒であれ、物にこだわるべきで、工夫が肝心だ

 

と言っているようです。つまり、

 

自分の身体能力に合うものを工夫すべきだ

 

と言うのです。
また、武蔵は「風之巻」では、やたらと長い刀を好む他の流派について、こうも述べています。

 

もし、敵と近く組み合うほどのときは、刀は長いほど、打つこともできず、自由に振り回すこともできず、厄介になり、小さな脇差しにも劣るものだ。長い刀をもたないで、短い刀では必ず負けるとでも言うのだろうか。その場により、上、下、脇の空間が詰まっているところもあれば、室内もある。また、人によって力の少ない者もいる。

 

――つまり、武蔵は、

 

戦いの場所によっても長い刀が常によいとは限らないし、また、
使う人の体力によっても長い刀がよいとは限らない、

 

と言っているようです。
どうも、武蔵は、

 

@道具によって、有利な場面、不利な場面というものがあるから、それをよく知るべきだ、

 

と述べるとともに、

 

A道具はあくまで人が使うものであるから、その人その人に合ったものであることが大切だ、

 

と述べているようです。
まことに合理的です。さすが武蔵!

 

 

自分に合った秘密兵器を開発する (4.2.2)

 

さて、宮本武蔵に学ぶならば、敵と自分との実力差が埋まらず、その差を何らかの道具で補うのだとしたら、その道具は、

 

@その状況に合っていること、
A自分に合っていること、

 

という2つの条件を満たす必要があります。
そして、この2つの条件を満たす道具をうまく開発することができたのならば、勝機は見えてきます。

 

では、それはどのようなものでしょうか?

 

わかりません。
それを事前に、また、一般論として、知ることはできません。

 

なぜなら、何がその状況に合っているのかは、実際にその場になってみなければ分からないものですし、どんなものがその人に合っているかどうかは、その人でなければ分からないものだからです。つまり、どんな状況かも、だれが使うのかも分からなければ、コレと言うことはできないものです。

 

これは「臨機」つまり、実際の時機に臨んみて、初めて明らかになるものです。

 

ただ、いくつかの具体例を挙げることはできます。

 

私に関して言えば、私が司法試験を突破したときに使った「秘密兵器」は、2つのノートでした。「短答式試験対策用のノート」と「論文式試験対策用のノート」です。
そして、この2つは、突破すべき試験の内容自体が違うものですから、当然に異なった内容、体裁のものでした。

 

まず、短答試験用のノートですが、それは次のようにして生まれました。ちょっと昔話にお付き合いください。

 

ヘチマ流・短答試験用ノート誕生秘話 (4.2.3)

 

私は、大学3年生の時に、始めて司法試験の短答式試験を受け、落ちました。模試の成績がそこそこだったので、内心では「行けるかな?」などと思ったのですが、ダメでした。行けるかなという気持ちがあった分、落ちたことのショックは少なくありませんでした。

 

その年の合格者祝賀会のときだったと思いますが、手伝いをしていた私の傍らに、ある弁護士がにスッと寄ってきました。

 

「おい、ヘチマ」
「はい?」
「お前、来年、短答に受かりたいか?」
「もちろん、受かりたいです」
「そうか。じゃあ、受かる方法を教えてやろうか」
「――はい」
「ただし、条件がある」
「――なんですか?」
「その方法を教える代わりに、必ずそれを実行すること。いいか?」
「……」

 

どんな方法を教えられるのか分からないうちに、それを実行することを約束しろと言うです。なんだか悪魔と契約しているみたいです。とんでもない方法だったらどうしようという不安が脳裏をよぎります。けれども、私は、どうしても翌年の短答式試験に受かりたかったのです。で、その条件を飲むことにしました。

 

「――わかりました」
「そうか。よし。じゃあ、教えてやる」

 

その弁護士が教えてくれたのは、次のような方法でした。

 

短答試験の問題を、毎日、欠かさず30問解く

 

「え? 毎日30問ですか?」
「そうだ。一度に解くと大変だから、
 朝10問、昼10問、夜10問と3回に分けて解くといいぞ」

 

親切にも、そうアドバイスしてくれました。

 

「どんな問題を解けばいいんですか?」
「過去問(※過去に出題された本試験問題)でもいいし、
 出版社や予備校の創作問題でもいい。
 1日30問解いてたらそのうち解く問題が無くなるから、
 そうしたら以前に解いた問題を繰り返し解いてもいい。
 とにかく1日30問だ」
「――わかりました」

 

約束してしまった以上、仕方ありません。確か、それを聞いたのが11月ころだったと思いますが、翌日から翌年の短答式試験の日(当時は5月の母の日でした)の前日まで、私は、毎日欠かさず1日30問を解きました。

 

そしてその時に、私が作っていたのが、この「短答式試験用ノート」でした。

 

1日30問を解くと、もちろん、その中には間違う問題が何問か出ます。というか、最初のころは、間違う問題の方が多いのです。そこで、どのような知識があればその問題で正解に達することができたのかを考え、B6判のカードにその知識を書き込んでいきます。そして、それをためていき、気が向くとときどき見直したりします。模擬試験の前などにも、もちろん見直します。

 

こうして半年も経つと、それは結構な量になります。バインダーに綴じていたのですが、憲法2冊、民法3冊、刑法2冊くらいだったと記憶しています。

 

そして、短答式試験直前、その7冊のノートに一気に目を通しました。

 

そしてその結果、私は、確かにその弁護士が言ったように、その年の短答式試験に合格することができたのでした。

 

それは自分の「穴」の歴史である (4.2.4)

 

では、一体この方法のどこがよかったのでしょうか?

 

第1に、この方法は、何よりも「敵を知る」ためのよい方法でした。

 

司法試験の短答式試験は、当時、憲法・民法・刑法で各20問、合計60問が出題されていましたが、試験範囲から均等に出題されるのではありませんでした。簡単に言えば、よく出題される箇所は、毎年何度も繰り返し出題されるのに、一方ではまったく出題されない箇所もある、という具合に、出題傾向には明らかに濃淡があるのでした。それにもかかわらず、もし教科書主体で勉強すると「よく出題される箇所」も「あまり出題されない箇所」も、均等な比重で勉強することになります。しかし、問題集を主体として勉強すると、当然に、よく出題されるところには多くの時間を掛け、あまり出題されないところには、それなりの時間しか割かないことになるわけです。これが自然と、敵に合わせた合理的な時間と労力の配分を勉強にもたらしていた、というわけです。これが、この方法が合理的であった第1の点です。

 

そして第2は、ノート。これは「自分を知る」ことそのものでした。

 

このノートは、1日30問を解くうちの、自分の間違ったところについて作られるものでした。そのため、このノートは、自分の「穴」の歴史でした。つまり、自分に知識が欠けていたところの記録だったわけです。そしてその欠けていた知識を埋める形でノートを作っていったわけですから、そのノートに記された知識というのは、自然と「自分に欠けていた知識の累積」になっていました。もともと自分が持っていた知識は、そこにはありません。自分に無かった知識だけがそこにあるのです。だからこそ、試験直前にそれに一気に目を通すことで、自分に欠けていた知識を一気に補充することができたわけです。

 

ですから、このノートは、だれのためのものでもなく、私自身のためのものでした。
それは、私自身のために特別に成分を調整して作られた栄養剤のようなもので、私にはぴったりと合うけれども、他の人には合うとは限らない、というものです。だから、このノートは、そのまま他の人にあげても、たいして有用ではないのです。

 

お解りいただけますね?
これが、自分の身にあった道具を用意する、ということです。


宮本武蔵の『五輪書』が読みたくなった方へ……

 

 

ついでに英語も一緒に勉強したいという方へ……

 

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