第5.3 最善を尽くせば後悔はない

3 最善を尽くせば後悔はない

タイムマシンで戻った自分がしたいこと

その時々の最善を尽くせば後悔はない (5.3.1)

 

とは言え、「失敗」というのは、イヤなものであることは確かです。

 

多くの場合、客観的には「損失」を伴いますし、主観的には、自分を愚かであるように感じ落ち込みます。

 

しかし「失敗」のない人生を送ることは、無理なことです。ただ、私は、いつのころからか、「失敗のない人生を送ることはできないが、後悔のない人生を送ることはできるのではないか」と考えるようになりました。そして、それでいいではないか、と。

 

「失敗」は客観的なものですが、「後悔」は主観的なものです。ですから、たとえ客観的には「失敗」でも、自分の気持ち次第では「後悔」しないことはできます。

 

では、どう考えればいいのでしょうか?

 

私は「もし、仮に時間を巻き戻すことができ、あの時点に戻ることができるとしても、自分は、同じ選択をするだろうか」と問うことにしています。

 

もちろん、さまざまな結果を知っている現時点に立って考えれば、あの時、異なる選択をしていれば、よい結果を得られたであろうこと、は明らかです。しかし、これは、言ってみれば「後出しじゃんけん」のようなものであり、その時点に立って考えれば、詮無いことです。それを求めても仕方ありません。それを求めることは「もし自分がアラブの王子様だったら……」と考えることと同じくらい、陳腐なことです。だからそうではなくて、その時の自分自身にとって、そうではない選択が可能だったかを問います。そして、それが不可能だったと思えるならば、仕方なかったのだと諦めることにしています。

 

後悔の対象になるのは「ある時点で自分が下した選択に対し、その時の自分には異なる選択が可能であったし、そうすべきであった」と言えるときです。その時はじめて「何であの時、あの選択をしてしまったんだろう」と悔やまれるのです。

 

ですから、「その時の自分にとっては、どう考えても別の選択をすることが不可能であった」と思えるのならば、現実に出た結論がどんなにひどい結果であろうと、後悔することは、そもそもおかしいのです。

 

そうすると、その時々で、その時にすることができる最善を尽くしているならば、たとえその選択によってもたらされた結果が最悪であったとしも、後悔することはできなくなります。

 

こんな考え方をすることにより、私自身「後悔」することはほとんどなくなりましたが、「失敗」することは、大小含め少なくありません。

 

ここ最近の失敗で、客観的規模において最も大きかったのは「飲食店を開店して1年ほどで閉店させた」ことでしょう。まあ、いろいろなしがらみもあって開店させたものだったんですが、そもそもの考えが甘く、いろいろと分かっていなかったこともあり、大失敗でしたし、私自身大損害を被りました。ま、ひと言で言えば「素人」だったわけですな。しかし、後悔はしませんでした。ちょうどその店を出すかどうかと考えているときに、私は自分自身に問いました。

 

「もし失敗することになっても、後悔しないか」

 

しかし、私のその時の気持ちとして「たとえそうなったとしても、店を出さない」という選択はありえないと思えました。それで、出すことにしたわけです。

 

明確にそう考えて始めた店ですから、結局、その後閉店することになったとしても、後悔はありませんでした。「もし、仮に時間を巻き戻すことができ、あの時点に戻ることができるとしても、自分は、同じ選択をするだろうか」と何度自分に問いかけても、その答えはイエスだからです。仕方ないと諦めるしかないわけです。確信犯ですから。

 

まあ、こんなわけで「失敗」はするけれど、「後悔」することはほとんどなくなりました。しかし、まったく後悔がないというわけではありません。

 

ここ最近でで最大の「後悔」は、我が家の愛猫を死なせてしまったことでした。最近と言っても、もう5年前になります。しかしこれは、痛恨でした。

 

数日前から具合が悪かったのは、分かっていたのでした。しかし、ちょうど東日本大震災の直後で、ガソリンが手に入りにくいなどの時期だったので、少し距離のあるいきつけの獣医のところまで連れて行くことをためらってしまったのでした。

 

「まあ、少し様子を見ようか」

 

この選択が、いまにして思えば最悪で、その後どれだけ後悔してもしきれないものとなりました。

 

なぜこの件について、私が後悔しているかといえば、愛猫が死んでしまったからではなく、「もし、仮に時間を巻き戻すことができ、あの時点に戻ることができるとしても、自分は、同じ選択をするだろうか」と考えたときに、異なる選択ができたはずだ、と思えるからです。そしてその選択をしたならば、おそらくは猫は死ななかっただろうと思えるからです。

 

「少し様子を見よう」というのは、聞こえはいいですが、結局のところは「放置」にほかなりません。通常ならば、私が最も嫌う選択肢です。それなのに、その時は、その選択肢を選んでしまったのでした。いま思っても不思議でなりませんが……。

 

むろん、そこには避けがたい人間心理が働いていたことは間違いありません。「うちの猫は重い病気ではない」と思いたいという心理です。それに流されたのでしょう。しかし、結局のところは、私がその心理に流されたために、我が家はかけがえのない愛猫を失うことになったのでした。

 

最善を尽くせば後悔はない

 

 

タイムマシンで戻ってきた自分がしたかったことをしよう (5.3.2)

 

後悔しない生き方をするには、常にその時にできる最善のことをすればよい、と私は思います。よい結果がもたらされるかどうかはともかく、有限な能力しかもたない人間として、その時点でそれ以外のよい選択肢がありえないならば、どんな結果になったとしても、運命として受け入れるほかないからです。

 

問題なのは、常にその時にできる最善のことをしているか、ということです。

 

人間は、ともすると、そうでない選択をしてしまいます。常に最善と思えることをする、というのは言うほど容易いものではありません。人間は、どうしてもダラダラと毎日を過ごしてしまったりします。昨日と変わらない今日を過ごしてしまいます。そうしがちです。

 

そこで、私は、自分自身に対してもそうですし、学生などにも対しても、時々次のような問い掛けをしています。

 

「じゃあ、半年後の自分を想像してみようか?」

 

例えば、10月ころなら、半年後と言えば、翌年の3月です。大学生ならちょうど春休みで、新学年を目前としていることです。そこで、男子学生を相手にこんな話をします。

 

「この中には、彼女のいる人もいるけど、いない人もいるよね。彼女がいる人は、この後、12月には彼女と過ごす楽しいクリスマス、1月は彼女と行く楽しい初詣、2月は彼女からチョコをもらうバレンタインデー、そして春休みには彼女と旅行に行けるかもしれないよね。一方、彼女がいなければ、男同士で過ごすむさ苦しいクリスマス、男同士で行く楽しくもない初詣、そして、お母さんからチョコをもらうバレンタインデー、そして今年こそは彼女を作るぞと決意する反省と後悔の春休み。どうよ?」

 

そして、いま、自分がその春休みにいるならば、きっと「ああ、タイムマシンがあって半年前に戻れたらなあ」って思うだろうね、と。

 

しかし、残念ながら、現実には、タイムマシンなどありません。

 

……ところがです。信じられないことに、いまがその「半年前」なんですよ。なんという幸運でしょう。戻れるはずのないその半年前に、いま、いるわけです。そうしたら、一体なにをしたかったと思いますか?

 

こんなふうに言って、この秋、学園祭に行って合コンの相手を見付けて来て彼女を作るようにと、男子学生をたきつけるわけです。

 

同じようなことは、大学に入って半年ほど経った1年生にも言います。

 

「じゃあ、3年後の自分を想像してみようか。君たちは大学4年生で、いまちょうど夏休みが終わり、あと半年で大学を卒業するというところにいる。そして、大学生活を振り返り、自分がこの4年間で何を成し遂げ、何を得たかを考えている」

 

そして、自分に問いかけてみてくださいと言います。大学に入ってからこの半年間に一体なにをしたか? 毎日を充実して過ごしていたか? ダラダラと無為に過ごしてしまったのではないか? もし、無為に過ごしてしまったとしたら、この先、同じように過ごしたら、大学4年生になったとき、自分は何を得ているのか? いまとまったく同じ場所にいるのではないか? そうだとしたら、大学4年間を有効に過ごしたと言えるのか?

 

そう考えたうえで、もう一度、自分に問い掛けてみるのです。

 

そうした後悔をしている自分が、タイムマシンに乗って戻ってきた3年前の世界が、いまこの時だと思ったら、自分は何をしたいか、と。

 

そして、こう言います。

 

「友だちと、喫茶店で何時間も話をしていることは、楽しいかもしれない。それを無駄だとは言わない。それも大学時代にしかできないことの1つだから。けれども、昨日と同じ今日、今日と同じ明日を過ごしていたら、変化はない。本当に変わりたいと思ったら、毎日の生活を少しずつでも、変えるしかない。大学には、図書館がある。この半年間に図書館に行った人はいますか? もし行ったことがないなら、今日この授業が終わったら、その足で図書館に行ってみるといい。今日は何も借りなくてもいい。今日は、行ってみたということだけで、昨日とは違う変化だから。もし、この授業の復習のために教科書を一度も開いたことがないという人がいたら、今日、家に帰ったら、この授業の教科書を開いて、今日授業であったことを思い出してみるといい。これも1つの変化だから」

 

そして、もし自分が、3年後の自分だったら、3年前のいまの自分に対して、どんなアドバイスをしたいか、を考えてみるように勧めるのです。

 

 

転んでもタダでは起きない (5.3.3)

 

自分で始めた闘いを、自分の意思で終息させる。それも勝利ではなく。それは、確かに、ツラいことでしょう。

 

多くの人が、闘いを始めるときに、負けることなど考えて始めないでしょう。

 

もし、負けると分かっていたら、闘いを始めなかったか? これは難しい問いです。

 

もし100%の確率で負けることが分かっていたなら、だれも闘いなど始めないでしょう。しかし、こんなことは、考えるだけ無駄です。それは空想だからです。実際には、あらかじめ100%分かっている、などということはありませんから。

 

「一寸先は闇」

 

これは至言です。人は、昨日と同じ今日、今日と同じ明日が来るように感じていますが、実際には、一寸先のことさえ分からないものです。だから、予想に反してうまくいかないということは、往々にして起こります。そして、そこまでの経験を頼りに、「どうもこれ以上続けても脈がなさそうだ」と思えば、方針を変更して撤退することは、賢明な選択です。

 

ただ、結局、撤退することとなった場合、それまでに費やした時間と労力と金がすべて無駄であったか、というと私はそうではないと思います。確かに、勝利して予想どおりに得する、ということはできませんでしたが、無駄であったか、というとそれは違うように思います。

 

多くの成功が、多くの失敗の上に成り立っていることは、多くの人が口にすることです。多くの人が失敗から学び、それを財産として、その後の成功への糧としています。それは真実だと思います。

 

何も求めず、何もしなければ、何も失うことはありませんが、何も得ることもありません。何かをしていれば、「予想どおりの成功」というものは得られないにしても、別の何かを得るものです。それは、当初に期待したものではないかもしれませんが、当初に期待したものよりも価値が少ないとも限りません。

 

私が飲食店を出店し、1年ほどで閉店させたのは、すでにお話ししたとおりです。この飲食店は、私に何ら経済的な利益をもたらさず、逆に、莫大な損失を被らせました。経済的には、何ら成功はなく、撤退というその結末からしても、失敗以外の何ものでもありません。

 

ただ、この店は、私にあるものを残しました。そして、おそらくそれは、私が安易な考えに基づいてこの店を出店するなどという「愚行」をしなければ、私が一生涯得ることができないかもしれないものでした。

 

少し、この店の説明をしましょう。

 

この店は、都内のある地域にありました。家賃が安いということで、私は、その店舗を借りることにしたのです。当初、そこで「店」をやるつもりではなく、移動販売の弁当屋の弁当を作る厨房にしようと思っていました。ただ、その店舗の目の前が公園で、「店」をやるのによさそうな気がして、ついでに店にしてしまおうと決めたのでした。

 

その店を切り盛りするのは、私の旧い友人であるGと外2名。Gは、そもそもコンピュータ関係の仕事などをしていたのですが、もともと料理が得意なのは知っていました。そのころ、ちょうどいろいろあって次の就職先を探しているころだったので、誘って店長をしてもらうことにしました。

 

彼と都内の物件を見て回りながら、弁当屋の構想が、なんとなく発展し(いま思えばこれが間違いなのですが)、店を始めることになったのでした。

 

その場所は、環境的には、近くに小学校、中学校、高校などがある住宅地でしたが、周囲に和風の甘い物を売る店がなかったことから「今川焼」を売ることにして、その後、併せてコロッケなども売るようになり、さらに、店内でカレーを食べることができるようにもし、最後には、夜には酒も飲めるようにしました(まあ、このあたりを見ても分かるように、極めて無計画で、行き当たりばったりだったのです)。

 

しかし……というか当然というか、店は思うようには繁盛しませんでした。最大の理由は、おそらく出店した地域です。よくよく考えてみれば、あまり繁盛しそうな地域ではなかったのです(こんなことは、ふつうは最初にリサーチすることでしょうが……)。

 

そんなこともあり、当初使っていた2名のアルバイトは早々に退職し、しばらくは、Gが一人でその店を切り盛りすることになりました。

 

Gは、私の中学、高校時代の友人で、当時は、ロックバンドをやっており、長髪にしていましたが、いつのころからかスキンヘッドにしていて、また、顔立ちも強面で、一見するとヤクザか何かのように見える人物です(実際、彼は、ヤクザ役でVシネマに出ないかと誘われた過去があります)。しかし、外見に似合わず、情に厚く、面倒見がよいうえに、自分自身が中学、高校時代と好き勝手にやってきたこともあって、懐が深く、よい子でもそうでない子でも、子どもたちの心情はよく理解するところがありました。それで、子どもたちからはよく好かれていました。

 

そんなこともあり、その店は、しばらくすると、学校帰りの中学生、高校生の「たまり場」になってしまいました。

 

G自身がバスケットボールをやっていたこともあるのかもしれませんが、夕方になると中学のバスケ部の連中が店にやって来て、その子たちが帰るころには、こんどは高校のバスケ部の子たちが来る、という具合でした。

 

そういう子たちは、今川焼を一個を買っては、無料のお茶を飲み、ずっと店内で粘るので、店的には、まったく売上げに貢献しません。しかも、そういう子たちがいると、普通のお客さんは敬遠して入って来られないわけで、店的にはとても迷惑な存在です。ですが、Gとしても、困りながらも、無下に帰れというわけにもいかず黙認していました。

 

店長G

 

しかし、なんで中学生や高校生が、この店に集まってしまうのだろう……?

 

それが最初の疑問でした。しかし、次第に、子どもたちは日常のことなどをGに相談するようになり、そうするとそんな疑問も自ずと氷解していきました。

 

彼らは、行き場がないのでした。

 

彼らは、いずれも近くの都営住宅に暮らしていましたが、そこに彼らの「居場所」はないようでした。

 

また、彼らが、なぜ一年中、同じような学校のジャージ姿で過ごしているのかも、その理由は自ずと知れました。

 

この中学生、高校生が集まってきてしまうという問題は、店にとっては経営上の大問題だったので、私とGで何度も対応策について話し合いました。

 

しかし、いつも結論的には、彼らを完全にシャットアウトしてしまうことはよそう、ということになるのでした。

 

いつもGが一人で店をしているのは大変なので、時折、私の家内が娘を連れて店の手伝いに行くことがありました。子どもたちはGがいないのを知ると「今日は店長いないの?」とがっかりしていたようでした。

 

家内は、店の隅で娘に学校の宿題をさせていました。通わせていた学校が私立で、大量に宿題を出す学校だったからです。店に来る子どもたちは、それを複雑な表情で見ていたと言います。

 

ある時、店に来ている子たちが、娘を見ながら「こんな子、誘拐されちゃえばいいのにね」と話しているのを、家内は耳にしました。

 

子どもたちは、いずれも貧しい家庭の子のようでした。その地域は、当時、給食費の不払いが問題となっている地域でもあり、また生活保護を受けている家庭が多いと言われている地域でもありました。

 

ところが、ある時、家内がその地域にある安い回転寿司に娘を連れて行くと、その店はガラガラで、その地域で最も繁盛している店は、高級な寿司屋と高級な焼肉店なのだと知らされました。

 

私たちの店に来る子どもたちは、一様に金がなく、ほとんどが1個の今川焼と無料のお茶だけで店内で長時間過ごしていたのですが、1人だけ、他の子どもたちに奢ってあげている子がいました。その子のことを家内が私に話した時、ぽつりと言いました。

 

「その子の持ってた財布って、サマンサ・タバサでさ。
 到底中学生に手が出せるものじゃないんだよね」

 

彼女が、他の子とは異なる「裕福な家庭の子」というわけではないことは、明らかでした。しかも、そのブランド品は、裕福な家庭の親がその子どもに持たせるようなものですらありません。

 

それならば、どうして?

 

イヤな推測が脳裏に浮かびます。しかしそれしか考えられないでしょう……。

 

また、ある夜は、Gが一人で店番をしていると、いつも友だちと一緒に来る中学生が、結構な遅い時間に1人で来店したと言います。彼女は、Gと話がしたかったのです。

 

彼女は、言いました。自分は、勉強が得意で、他の子たちと違って学校の成績もいい。だけど、親は高校に行かせてくれない。中学を卒業したら働けと言われている、と。

 

彼女は、Gに助けてくれと言ってるのではないようでした。ただ、そのやりきれない気持ちを、Gに聞いてほしかったようでした。彼女の周りにも、大人は何人もいるでしょう。親以外の身近な大人なら、学校の先生だってそうです。しかし、彼女は、学校の先生にではなく、Gにこの話をしました。

 

ではなぜ、彼女は、Gにこの話をしたのでしょうか?

 

Gは、彼女にとっていったい何モノですか?

 

「行きつけの今川焼屋のオヤジ」にすぎません。そのGになぜ彼女は相談しなければならなかったのでしょうか?

 

この問題について、Gは無力でした。身内でも何でもないのですから、当然です。彼女が直面している不合理な現実に対して、どうしてやることもできません。そんなことは、彼女だって知っていたはずです。もともと頭の悪い子ではないのですから。

 

それでも、きっと彼女には、この話をまじめにすることができる大人は、G以外に思い浮かばなかったのでしょう。

 

この話をGから聞かされた時、私は、あまりのやりきれなさに落ち込みました。その時、Gが彼女に一体どんなアドバイスをしたのか尋ねた記憶ですが、Gが何と言ったのか忘れてしまいました。それほどにショックでした。

 

そして、そのショックは、Gも同様、いやそれ以上だったでしょう。

 

こんな不合理なことが、先進国であるニッポンの、首都であるトウキョウの、その中心である23区の中で、現実に起こっているのです。

 

私は、弁護士を始めてから、世の中の汚い部分を随分見てきたつもりでしたが、それがまだまだ甘かったことを、この時、思い知らされました。

 

新聞やニュースで報道される幼児虐待、児童虐待などの問題を、頭では知っていても、自分の生活する現実の世界の出来事として「地続き」に考えることができなかったのです。ニュースになってしまうような極端な事例に至る暗数として、ないがしろにされ、不合理な事実に直面している子どもたちがどれだけの数いることか。

 

この現実を知ったことが、この店の「失敗」に伴って私が得たものです。

 

しかし、これは私にとっては、非常に得難いものでした。自分がどこまで脳天気なのだろうと、あらためて思い知らされた出来事でした。

 

Gと私は、最終的には、その店を閉める決断をしました。その時、Gと私は、ある決意をしたのですが、それはここには書きません。

 

この店の失敗によって、Gは1年間にわたる時間と労力を、私は相当額の金銭を失いましたが、その一方で、それによって得たモノもあるわけです。だから、私はこれを「無駄」だったとは思っていません。

 

もっとも、その後、家内から相当に責められたことは事実ですが……。


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