第1.2 あの人の有名なあの言葉

2 あの人の有名なあの言葉

孫子「知彼知己者百戦不殆」

孫子「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」の真髄 (1.2.1)

 

では、その「闘い方」とは、どのようなものでしょうか?

 

それが、先ほど述べた「臨機応変の戦略」なのですが、この闘い方は、別に、いま新しく言われ始めたものではありません。とてつもなく古い時代から言われつづけているものです。中国最古の兵法書である『孫子』の中に、有名な言葉があります。

 

彼を知り己を知れば百戦して殆うからず

 

これこそは、相手と状況によって闘い方を変えるという「臨機応変」の戦略を説いているものと言えます。しかし、このように『孫子』の言葉を引くと、「またか」と思う人もいるかもしれません。それほどまでに、孫子は、おじさんたちに好まれ、ビジネス書などでも頻繁に登場するものです。それはそのとおりなのですが、しかし、それほどまでにもてはやされるのには、はやり理由があるわけで、この言葉には深い含蓄があります。

 

岩波文庫で出ている『孫子』は、非常に薄い本です。私は、司法試験受験中にこれを手にし、何かヒントはないものかと何度も読みました。そうする中で、いろいろ考えさせられるものは出てくるわけです。

 

『孫子』のいいところは、とてもシンプルなところです。しかし、その真意を知ることは必ずしも簡単ではないように思います。さっと読むのではなく、少し立ち止まって、じっくりと読む必要がありそうです。

 

例えば、右に引いた「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」とは、どういう意味でしょうか。ちょっと分解しながら読んでみましょう。

 

彼を知る (1.2.2)

 

まず「彼を知り」ですが、これは、文字通り、相手を知る、敵を知る、ということでしょう。

 

孫子は、敵国と戦争をすることを考えていますから、もちろん、敵の兵力を推し量ることを意味しているでしょうが、それだけではないでしょう。敵国の将軍は優秀かどうかはもとより、敵国の君主は人民の支持を得ているか、政治は安定しているか、敵国の経済は何によってまかなわれているか、なども含まれるかもしれません。こうした情報を集めることで、相手の強み、相手の弱みはどこにあるのかを知り、そのうえで、いつ戦争を仕掛けるのがよいのか、どんなふうに戦争を仕掛けるのがよいのか、という作戦を練るというわけです。

 

各種試験で言えば、試験の形式や出題範囲などを知るだけでは充分ではありません。出題範囲の中で、どの部分の問題が多く出題され、どの部分の問題はあまり出題されないのか、このような出題傾向は近年変わっているのかどうか、全体で何割くらい正解すると合格することができるのか、などを調べることが必要です。特に、何割くらいの正答率で合格できるのかによって、試験対策は大きく変わります。9割正解しないと合格できない試験と、6割で合格できる試験とでは、もちろん準備の仕方も変わります。また、出題傾向を知ることで、無駄な勉強に時間を割かなくてよくなるわけです。

 

そして、このように「彼を知る」ためには、その試験のための標準的なテキストを手に入れて読むだけではなく、過去に出題された問題(いわゆる過去問)を集めて解いてみることが必要になります。

 

己を知る (1.2.3)

 

では「己を知れば」とは、どういうことでしょうか?

 

これは、孫子であれば、もちろん、自国の兵力を知るというのが主なものでしょう。しかし、これも「彼を知り」の場合と同じく、それに限らず、自国の将軍は優秀かどうか、自国の君主は人民の支持を得ているか、政治は安定しているか、自国の経済は何によってまかなわれているか、なども含まれるというべきでしょう。

 

では、何のために「彼を知る」だけでなく「己を知る」必要があるのでしょうか?

 

それは、敵国の強さと自国の強さとを比較するためです。自国よりも敵国の方が強ければ、戦っても負けますから、絶対に戦いません。そのためには、まずは、十分に両者を比較できる必要があり、そのためには、敵の強さと自国の強さをできるだけ正確に推し量る必要があるわけです。

 

ちなみに、兵力、将軍の優秀さだけでなく、君主に対する人民の支持や、政治・経済の安定などが戦争に影響するのは、当時の兵が職業軍人ではなく、農民などが戦争になると駆り出されて兵となる、という事情があったからです。つまり、君主がよい政治・経済を行い、人民に人気があれば、他国に征服されては大変だと思い、一生懸命に戦うという事情によります。

 

そして、このように自国と敵国との比較を行い、自国の方が弱ければもちろん戦わず、何とか戦争を避けるようにします。さらに、孫子は、自国と敵国が対等でも戦わず、自国の方が相当に優り、絶対に勝てるという場合でなければ戦うべきではない、と言います。それは戦争が天下の大事であるからです。これは「戦争」について語っている孫子にとっては、当然でしょう。

 

しかし、私たちが人生の多くの場面で経験する「闘い」は、文字通りの「戦争」ではありません。負けたからと言って殺されてしまうわけではありません。そのように考えると、絶対に勝てる場面でなければ戦わない、という孫子の教えは、私たちの日常の「闘い」については、あてはまらないところもあります。

 

さて、この「己を知る」とは、では試験ではどうかを考えてみましょう。

 

この場合「己を知る」とは、その試験の合格レベルに対して「自分の欠けているところ」を知る、ということがまず第1です。その欠けている部分を埋めて、自分の実力を合格レベルにまで引き上げれば、合格できる、ということです。そこで、まずは、自分がどれくらいできないか、をまず知ることが重要です。

 

それには、何よりもまず過去の試験問題を1回分解いてみることでしょう。そうしてみて合格点に何点足りないかを把握し、その不足分を埋めて合格点をとれるようにすれば、合格できる、という理屈です。

 

しかし、これから実際に試験にチャレンジするかどうか、試験勉強を始めるかどうか、を検討している場面を想定すると、もう少しいろいろな意味で自分を知る必要がありそうです。例えば、勉強時間を1日何時間くらい確保できるかとか、標準的なテキストを読んでみて、自分にはちゃんと理解できそうか、難しくて読み進められないのではないか、などです。つまり、自分の読解力、記憶力、忍耐力など、自分にしかわからない自分の能力のレベルを、自分なりに認識する必要があります。そして、現実には、これが結構キツい作業だったりするわけです。例えば、同じテキストを、他の人は1時間で10頁読めるのに、自分は5頁しか読めない、などということがわかったりすると、がっくり来たりします。多くの人が、自分の弱い部分には目をつぶりたいものです。

 

しかし、その試験に合格するための具体的な道筋を作るには、それはどうしても必要な作業です。1日3時間しか勉強時間が確保できない人と、1日5時間の勉強時間が確保できる人では、勉強の計画は、当然に違ってきます。また、1日にテキストを何頁読めるかによっても、勉強の計画は変わります。ですから、自分をどこまで冷徹に的確に把握できるかで、合格に向けた作戦は大きく変わるのです。的確に把握できていなければ、作戦はどこかピントのズレたものになってしまうはずです。ですから、この点は、とても重要なことです。

 

私自身の経験も踏まえ、この点についてはあとでも触れますが、「弱くて小さな自分」を認めること。これは、とても苦しいことですが、これこそがすべてのスタート・ラインです。そして、これが「己を知る」ということの最も重要な点です。

 

見切り千両 (1.2.4)

 

「彼」を知り「己」を知ったならば、次にすることは「判断」です。

 

どういう「判断」かと言えば、闘うべきか、闘わざるべきか、の判断です。例えば、何かの試験を受けるかどうかを迷っているならば、その試験に挑戦するか、最初からあきらめて別の道を検討するか、という判断がこれです。

 

この点については、孫子は「とても厳しい」、言い換えれば「とても慎重」な判断をしています。先にも述べたように、戦争は国家の大事であるため、絶対に勝てると言い切れない限りは、戦争をすべきではない、と言っています。しかし、この点は、みなさんの場合には、同列には語ることができません。ある試験に落ちたからって命を奪われるわけではないからです。それゆえ、この点は、頑張ってみて合格の可能性があるかどうか、という方がむしろ重要です。

 

さて、この判断は、実際上は、極めて難しいものかもしれません。しかし、事はそんなに厳密に考えることではなく、感覚で決めればよいのです。もし、感覚的に「到底受からない」と思ったら、きっぱりと諦めるべきです。つまり、もしその試験に対する自分の合格の可能性がゼロ%だと思えるならば、その試験を受けることはやめるのが賢明でしょう。だって、どうせ受からないのですから。それならば、その試験勉強のために、労力と時間を費やすことは無駄です。

 

このように事態を「見切る」ことは、とても重要なことで、昔から「見切り千両」と言われます。「見切る」ことで、その後の無駄な労力や時間を大幅に節約することができるからです。

 

しかし、このように「見切る」のは、あくまで「到底受からない」と思える場合であって、後になって他の人が受かっているのを見て、「ああ、アイツが受かるなら、オレもやっておけばよかった」などと後悔しないほどの根拠が必要です。そんなときでも「オレには受からなかっただろう」と納得できる根拠に基づいていることが、「見切り」には大切です。

 

見切り千両


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