第3.2 「プライド」を捨て身軽になる

2 「プライド」を捨て身軽になる

「プライド」を捨て身軽になる!

まずは自分の欠点を知る (3.2.1)

 

こんな私の経験を踏まえ、私は、大学での授業を持っていたころは、よく余談として「女の子にモテるようになる方法」を学生たちに話していました。
その方法は、極めて簡単なものです。

 

自分の信頼できる友だち(もし女性の友だちがいればよりよい)に向かって
「自分のどこがモテないのか、心当たりを教えてくれ」と頼むことです。

 

もしかすると、友だちは遠慮して

 

「いや。お前はいいヤツだよ。悪いところは特に思い当たらないよ」

 

と言うかもしません。しかし、それでも食い下がり、

 

「いや。オレが女の子にモテないのには、何か原因があるはずだ。
 だから、教えてくれ」

 

と言います。すると、最後にはきっと、

 

「それじゃあ、言うけど、気を悪くしないでね」

 

などと前置きしてから、何か言ってくれるはずです。そしてそれは、もしかすると、あなたにとって、ものすごくグサリと来るひと言かもしれません。

 

「いつも肩にフケが乗っているのがちょっと」とか、

 

「ときどき、何か臭うんだよね」とか、

 

「いつも自分のことばかり話してるよね」とか……。

 

しかし、それを真摯に受け止め、素直にそのことを教えてくれた友だちの友情に感謝するのです。

 

自分の欠点とまず向き合うこと。

 

このことがとても大切です。例えば「女の子にモテる」ということを考えた場合、「そもそも女の子にモテる男というのは、どういう男か」ということが問題となり、その男の条件と、現実の自分を比較して、その差を埋める努力をする、ということが必須なのですが、まず、多くのモテない男子は、「モテる男の条件」を正しく把握しておらず、そのために自分に欠けているものが何かを正確に把握することができず、そのために、的外れな努力(例えば、自分にはまったく似合わない髪型に変えてみたり)をして、徒労に終わっているのです。

 

正しい努力をするためには、まずは、正しく自分の欠点を把握することが必要です。
そして、自分の欠点というのは、多くの場合、自分自身では発見しづらく、正確に把握することが困難なものです。ですから、「人に訊く」ということが、とても重要になります。

 

「プライド」を捨て、身軽になる (3.2.2)

 

ところが、「言うは易く、行うは難し」で、実際には、人にモノを訊く、人に教えを請うというのは、なかなか難しいものです。

 

「訊くは一時の恥、訊かぬは一生の恥」

 

ということわざがあるように、訊くことはとても大事なことですが、それがなかなかできないからこそ、このことわざもあるわけです。しかも、その訊く内容が、自分の欠点に関わるということであれば、なおさらです。

 

この私たちに「訊く」ことを躊躇させている根源は、おそらく「プライド」と呼ばれるものです。しかし、それは本来の意味での「プライド」ではなく、「見栄」や「虚栄心」というべき、つまらない、何の役にも立たないものです。

 

ですから、この自分の中にあるこの「見栄」や「虚栄心」――実体はなくとも周囲からよく見られたいという心理――こそが、実は、何かを成し遂げようとするときに、最大の敵になります。

 

司法試験は、現在では合格率20〜30%ほどの試験になりましたが、私が受験していた当時は、合格率が2%ほどで、諦めて去っていく人も多く、仲間に先を越され、後輩に追い抜かれる人なども、ざらにいました。そういう人にとって、いままで自分と肩を並べていた仲間や、自主ゼミで自分が教えていた後輩が、先に合格して予備校で講師をしていることなどは、見たくない現実でしたでしょうし、また、そういう人たちから教えを請うことは、屈辱的な出来事であったことは間違いありません。
けれども、ここが勝負の分かれ目で、こんな時にどう考えるかが、多くの場合、その人の将来の合否を決めるのでした。

 

「ヤツらは運が良かったのだ。
 自分は運が悪く、たまたま合格できなかったのだ」

 

そんな風に思うことは、簡単です。しかし、これでは成長がありません。

 

「ヤツらには、きっとオレよりも優れた部分があり、
 オレには欠けていた部分があるのだろう。
 だから、ヤツらは合格し、オレは合格できなかったのだ」

 

そう考えて、屈辱をグッと抑えて教えを請うならば、そこには成長があります。そして実際、そういう人は合格してゆきましした。

 

では、この「屈辱」を抑え、自分の先を越した仲間や後輩に教えを請う人を突き動かしているものは、一体何だったのでしょうか?

 

おそらく、それもまた「プライド」と呼ばれるものでしょう。そして、私は、むしろこれこそが本当の「プライド」であると思います。そこにあるのは、自分は何としても合格してやるという決意であり、また、そうすることができるという自信です。そして、

 

「最後の最後に笑うためには、ここで頭を下げることなど屁でもない」

 

という気概でしょう。この気概にこそが本当の意味での「プライド」であり、この意味での「プライド」をこそもつべきであろうと思います。
本当に、真剣に、何かを達成したいと思ったら、大概のことを「捨てる」ことが必要です。捨てて身軽になることです。身軽になって「なりふりかまわず」目的の達成に執着することです。誤解を怖れずに言えば「目的のためには手段を選ばない」とでもいうべき心境です。

 

守るべきものが多ければ、チカラは殺がれていきます。逆に、いろいろなものを捨てて身軽になれば、自分の持っている100%のチカラをその目的のために注ぐことができます。

 

そう言った中で、真っ先に捨てるべきものは何かと言えば、見栄や虚栄心という意味でのつまらない「プライド」です。
そして、「オレは何が何でも目的を達成するのだ!」という一点にこそ、真の意味での「プライド」をもつことです。

 

 

遠泳をどう泳ぐか? (3.2.3)

 

ところで、「いろいろ捨てれば身軽になる」とか「100%のチカラをその目的のために注ぐ」などと言うと、必ず勘違いする人が出てきます。というのは、目的達成のためには、遊ぶ時間をムダだと考えてこれをなくしたり、女性と付き合うことは勉強の邪魔だと考えて彼女と別れたり、という人たちです。

 

私は、前述したような「つまらないプライド」などはとっとと捨てた方がよいと考えますが、遊ぶ時間をなくしたり、彼女と別れるなどというのは、合理的であるとは全然思えないのです。私は、よくこのことを遠泳にたとえて説明します。

 

もし、泳がなければならない距離が25メートル程度であれば、あるいは、息継ぎをまったくしないで必死になってクロールで泳ぎ切ることができるかもしれませんし、これが最も速く泳げる方法かもしれません。しかし、これが50メートルとなれば、そうはいきません。100メートル、1キロとなれば、どんなに肺活量の多い人でも、もう絶対に無理でしょう。つまり、泳ぐ距離が長くなれば、泳ぎながら「息継ぎ」をすることが絶対に必要になるのです。

 

これは試験などについても同じことです。1か月程度の試験勉強で何とかなる試験であれば、山にでも籠もったつもりで、だれにも会わず、遊びもせず、勉強に専念する、ということも1つの方法でしょう。しかし、私が受けていた司法試験は1年に1度の試験であり、また、合格までには少なくとも数年はかかる試験でした。そうなると、受験勉強は数年間にもわたって続くわけです。とすると「息継ぎ」をしないというのは、どだい無理な話です。

 

このように「25メートル泳ぐ」のと「1キロ泳ぐ」のとで泳ぎ方が同じでないように、準備期間が1か月の試験と1年の試験と数年かかる試験とでは、受験勉強の計画は、同じではありません。目的達成までの準備期間が長くなればなるほど、その準備のために費やす時間を、日常生活の中に馴染ませる必要があります。そして、その計画の中には、休憩などと共に、遊びなど、精神的なストレスを発散させる時間を意図的に盛り込むことが必要なのです。そうしないと、疲れやストレスが溜まるに従って、どんどん効率が悪くなってしまうからです。


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